ya___su’s blog

記憶の記録

伝わらなさそうな日常会話

 

人と人の関係というものは


なくてはならないものであるのに


それでいて儚いもので


確固たる関係性を完璧に証明することなどできそうもなくて


それならば確固たる関係などないのかといえばそうは思いたくはないわけで


自分は自分で


他人は他人で


そのことは間違いなくて


自分は自分のことしかできなくて


他人の喜びは自分の喜びなわけで


っていうと違った風に聞こえるから言い換えると


他人の心配は自分の心配でしかなくて


つまり喜びの共有はポジティブだからできる気がしているだけで


1つ1つの個体は別物で


その個体に生じる感情もまた別物で


共有は錯覚で自分のみの感覚であるのが真実のようで


なんとも悲しい気がするけれども


一体人と人の関係はなんなのかと問われれば


自分と自分の関係である


これがわかれば、いや、わかった気になった時


信頼関係を語れるそんな気がした日常会話

味のなくならないガムはない

 

朝目が覚めて昨晩の夕飯を思い出そうとしてもなかなか思い出せないくらい豊かすぎる生活を私たちは送っていて

 

それでいてなんか物足りなくて


いつになったら満足するのかといえば満足する日なんて訪れるものではなくて


多分みんながそんなことには薄々だとしても気がついているのに


じゃあなんでこんなに欲望に満ちた生活を送っているのかなんてだれも全く解らなくて


でもただただ欲望は増す一方で


やりたいこととやらなきゃいけないことの狭間に立ち続けて


こんなんじゃダメだと気がつくことはあってもそれを継続できるかといえば自信を持ってYesと言えるはずもなくて


自分はダメなやつなんじゃないかと思い続けるしかなくて


たまに、自分だけじゃなくてみんなもそうだから大丈夫って思おうとするわけだけど


それは一時的な解熱剤にしかならなくて


むしろ他人と比べている自分に怒りを覚える副作用も持ち合わせていて


気持ちというものはとてつもなく不安定で


つかみどころのないもので


それでいて信じられないほどに大きな力を持っていて


そのくせ自分の気持ちがなんなのか全くわからなくなって


それはまるで味のなくなったガムを噛み続けている時の気持ちのようで


きっとこの世に味のなくならないガムはない


そんな風に思うんだ

 

本当に優しい嘘は

嘘だとわからない嘘でなくてはならなくて

 

嘘が嘘である必要性がなくてはならなくて

 

伝える人を選ばなくてはならなくて

 

それでいて決してばらさないけれども

嘘が嘘であるとばれたとしても

その傷を上回る幸せをその場で与えられたと思えるものでなくてはいけなくて


お互いのための嘘だと思えるものでなくてはならなくて


お互いのためと言いながらも

 

嘘はいつも一方通行で


それが嘘だから


誰かの何かを奪うくらいならば

 

自分は小さく丸まってだれにも気がつかれない嘘になりたくて


だから私は嘘が好き

人生は元来、余暇である

 

 

人生は元来、余暇である

 

生まれたときに、何かを強いられているわけではない

 

今現在、何かに縛られている、何かを強いられていると感じている多くの人に関しても

 

ハッキリ言ってそれは勘違いだろう

 

少し考えてみればわかる

 

今何をするか

 

全て自分に委ねられているはずだ

 

それほどに私たちは恵まれていて

 

まさに

 

人生は余暇である

誰かを大切に想うこと

 

大事にしたい

大切にしたい

幸せにしてあげたい

 

そう思える人がいて、そう思うことこそがそれを実現するための近道だとそう信じて疑ってなかったけれども

 

実際は

 

相手も自分を幸せにさせたいと思ってくれているのであれば

その相手が1人だろうと何億人だろうと

 

幸せの贈り合いをするよりも

 

自分の幸せを叶えるという行為こそがお互いの希望を叶え、みんなの幸せを叶えるものであるはずで

 

じゃあ自分の幸せってなんだって考えた時に

 

相手の幸せを叶えてあげることだと気がつき

 

結論は同じだけども

 

そういう過程で人を大切に想いたい

おじさんは言った

 

今日は今日とてただの記録

 

 

死ぬのが怖い


生きてる者として恐らく当然の感情だろう


はっきりいっていつ訪れるか誰にもわからない出来事なわけでそりゃ怖いわけで


でも、いつ来るかわからないからこそ今日を毎日を大事に過ごさなきゃって思う


そう、思うだけで


実際はそんなこと考えて生きて行くことなんて到底できなくて

 


そしたら、おじさんは言ったんだ


昨日なにしたかこれまでなにしてきたかその積み重ねが今になっているとしても

 

その積み重ねを積み重ねと言えるくらいに意識できている人なんて見たことない


私は毎日1日1日死んでると思ってる


1日が終わったらその1日で死ぬ

 

昨日の私はもういない

 

1日単位で死が訪れるとわかっているものだと信じているからこそ、わかりやすく言えば寝て起きたら新しい命になってると思って過ごしているからこそ今日を大切にできるし

 

この歳になって死ぬのがあまり恐怖ではないと

右も左も分からないけどまぁ初投稿

 

よくわかんないけど

 

記憶には限りがあるし

記憶は、記憶したいものだけを記憶して思い出したい時だけに思い出すなんて器用に扱えるもんじゃないから

 

じゃあ記録に残しましょうと

 

しかも誰かに見られてしまう可能性のある緊張感のあるかたちで

 

ただの記録で何かを訴えたいわけではないメモみたいなものと思ってはじめます

 

今日の記録は

メモ帳を整理してたら出てきた3ヶ月前くらいのメモのただのコピペ↓↓↓

 

 

結果論という言葉が好き
結果論ってよく言うじゃないですか、

それは結果論だろ

みたいな口調で


でも、結果論以外の現実ってないと思うんですよ

 


全て結果論だって


そう考えると身の回りに起こることってもともと決まっていることだと思えてきて、

いやそんなことはないこれから頑張るか否かで未来は変わる!

みたいに思っても最終的にはそれも結果論になるわけで。。

 

で、何が言いたいかというと、無理せず頑張りましょうってことなんですかね!

 

自分がどうしたから今日からなにかしたから何かが変わるかもしれないけどそれもただの結果論の1つで

 

結局その努力が身を結んだかどうかなんて正しく把握することはできないから楽しいと思えることをやりたいなと思います

 

これが難しいんですけどね

 

 

だんだんとそれらしい文章が書けるようになっていけたらいいなと思って初投稿終えます。。